すこやかな高齢期をめざして ~ワンポイントアドバイス~
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毎日の生活の中で仕事や家事、育児などに追われていると、「1週間くらい旅行に出て、何もせずにのんびり暮らしたい!」と思う瞬間が誰しもあるのではないでしょうか?心身のリフレッシュのためにはそれは非常に魅力的な状況ですが、もし「何もせずに暮らす」状態が毎日続くとしたらどうなのでしょうか。NILS-LSA(ニルス・エルエスエー)では、家族内での普段の生活や親戚との普段のかかわりの中でどのような役割を持っているかということが、個人の「幸せと感じている度合い(『主観的幸福感』)」とどのように関係するのかについて調査しました。
その結果を、グラフにお示ししました。まず、家族や親戚の中で「まとめ役になる」、「相談相手になる」といった役割を持っている、という方々は、そうでない場合と比べて、幸せと感じる度合いが高いことがわかります(グラフの青い矢印部分)。また、「家事をする」、「かせぎ手である」、「小さな子どもの世話をする」といった役割については、それをやっている・やっていないということは幸せと感じている度合いに違いをもたらしてはいません。これに対して、家族や親戚の中で「何も役割がない」という場合は、何かの役割を持っているという方々と比べて、実は幸せと感じている度合いが低い、ということがわかります(グラフの黄色の矢印部分)。つまり、「何もしなくていい生活」がずっと続くとなると、人は「幸せ」とは感じなくなるようです(オルコット著『若草物語』にもそのようなエピソードがありましたね…もっとも、彼女たちは1週間もたたないうちに『何もしなくていい生活』に飽き飽きしておりましたが)。特に、高齢になると仕事から退いたり、あるいはしゃきしゃきと体を動かすことが難しくなったりして、社会や家族内で果たすべき役割がない、と思われる方々があるかもしれません。しかし、みんなのまとめ役や相談相手になること、例えば昔で言うところの「長老」、あるいは「知恵袋」的な存在であり続けることは、高齢者自身にとって望ましいことと考えられますし、それだけでなく、家族や周囲の人々にとっても大事な支えになることと考えられます。
ただ、このグラフでもう一つ注目していただきたいのは、「病気や障害を持つ家族や親族の世話や介護」をしている方々は、そうでない場合よりも非常に幸せと感じる度合いが低い、ということです(グラフの赤い矢印部分)。つまり、この「介護者」としての役割をもたれている方々は非常に大きな心身への負担を抱えていて、幸せを感じにくい状態にあると推測されます。もし身近にそのような人がいらっしゃる場合は、実際に何らかの形で介護に協力をすることももちろん望まれますが、「相談相手」になってさしあげたりすることでも、お互いに小さな「幸せ」が感じられるかもしれません。
普段の生活の中で、自分にできる範囲の何らかの役割を持ちましょう
<コラム担当:丹下 智香子>
*このコラムは、以下の研究成果をもとに作成いたしました* 丹下智香子,西田裕紀子,森山雅子: |
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