70代後半のAさんは、畑仕事中にズボンについた実をとろうとしてかがんでいる時に急に意識が遠のいてその場で倒れてしまいました。近くにいた人が救急車を呼んでくれましたが、救急車が到着する前に気がつきました。救急車の中では吐き気があり何度か吐いてしまいました。冷や汗が出ていたと言います。救急病院に到着し点滴を受けている最中に、症状が完全に改善したため、医師の判断で帰宅となりました。
失神とは、「一過性の意識消失の発作で、自然にすぐ回復して後に症状を残さないもの」を指します。70才以上の人のおおよそ1から2%が1年の間に失神を経験すると言われていますが、高齢の人の失神は、それに伴う骨折や頭部打撲などの外傷と捉えられてしまい見逃されることもあるため、失神の頻度はもっと多い可能性があるといわれています。
意識の維持は脳幹(生命維持を司る中枢)の上行性網様体賦活系と大脳皮質が連携する事で保たれています(図)。脳のエネルギーは酸素とブドウ糖が主な物で、血流に乗って運ばれ、脳の神経細胞の電気的活動に使われます。脳幹、あるいは両側の大脳の広範囲のエネルギー供給が絶たれた状態や異常な電気活動がおこった場合に意識がなくなる現象が見られる事になります。一時的に意識がなくなると言うことは、これらの部位に一時的に急激な機能障害が起こった事によります。原因が長時間にわたれば、一時的な意識消失ではなく長時間にわたる意識障害が続くことになります。
一過性の脳幹や大脳全体の機能不全が起きたときに見られます。多くの場合には一時的に急激に全身血圧が下がることによる脳の広範囲の血行が遮断された状態と考える必要があります。急激な脳血流障害の原因として、血管迷走神経反射、起立性低血圧、不整脈、心臓の大動脈弁疾患などが、血流障害以外の原因としててんかん発作などが考えられます。脳血栓、脳塞栓等による一過性脳虚血発作(TIA)は通常、脳の血管の一部に血行障害が生じるため、脳の巣症状(その部の脳の持つ機能の障害、片側手足の麻痺など)が出ることが多く、大脳の片側の血管が元々詰まっているなどの特殊な状況でないと、失神のみの症状となることはまれです。
失神の原因として最も多いのが、この血管迷走神経反射によるものです。「迷走神経」は体内で広く枝分かれし、心臓や消化器などの内臓機能の調整に関わります。迷走神経が刺激され過度な働きがおこると、心拍や血圧が急激に低下するため脳血流が一時的に不足することで失神が起こります。
失神の前兆として顔面蒼白、冷汗、悪心、腹部不快感などの自律神経症状を伴う場合があります。失神が起きた場合でも、安静にして仰向けになることですぐに回復します。
過労、脱水、長時間の立位、起立、空腹、痛みや恐怖などが誘因となる場合があり、飲酒、排尿、排便、嚥下(飲み込み)、強い咳がきっかけとなることもあります。若年者にも起こりますが、高齢者では体の調節機能低下や基礎疾患、それに対する薬の影響などの影響で症状が重くなりやすい傾向があります。糖尿病などでの自律神経の障害や降圧剤、心臓の薬なども失神をおこしやすくすることがあります。
顎の高さ付近の首にある頸動脈が枝分かれする(顔面に行く血管と脳に行く血管が分かれる)部分に頸動脈洞といわれる部分があり、血圧や心拍数を調整するのに重要な役割を担っています。この部を強く刺激すると血圧や心拍が急激に下がり意識消失につながる場合があります。頸部のマッサージやネクタイの締め付けなどが刺激となり生じることがあります。頸動脈洞反射は70才以上の高齢者に多く見られます。
立ち上がった後に収縮期血圧が20mmHg以上急に低下する状態です。正常では立ったときには脳の血流を維持しようとする自律神経のはたらきで、血圧はほぼ不変で脈拍が上がります。パーキンソン病や多系統萎縮症などの自律神経不全症を伴う神経疾患や糖尿病性神経障害、脱水、高血圧の薬などが原因となることがあります。血圧の低下が著しい場合、立ち上がったときに失神が見られることがあります。食後には消化管に血流が集まるため、血圧低下がより顕著になる場合があります。
失神をおこす原因の中で、最も生命に直結しやすく突然死につながることがあるため、特に注意が必要です。
徐脈性不整脈で失神をおこす場合、ペースメーカー等の処置が必要となることがあります。極端な頻脈は心臓が空回りした状態で、血液を送り出せていない状態となります。特に心室頻拍、心室細動は突然死の原因となるため、見逃せない原因です。不整脈による失神は何の前兆もなく突然生じることがあります。
大動脈弁狭窄症(心臓から血液を送り出す量が減る原因となる)、肺塞栓(肺の大きな血管の急な閉塞で酸欠となる)などでも失神の原因となることがあります。肺塞栓も突然死の原因として重要なものです。
脳の神経ネットワークに異常な電気興奮が起こり生じる一過性の症状をてんかん発作と呼びます。てんかん発作は必ずしもけいれんを伴うわけではなく、一時的な意識消失のみの症状が見られることもあります。特に高齢者ではけいれんを伴わないてんかん発作が多いとされています。意識がなくなる前に、ぼんやりしたり、混乱したような症状が出ることもあります。
最初に述べたように失神の多くは神経反射による一時的な血圧低下によるもので、症状がすぐに元に戻ってしまえば心配のないものです。
このような症状のあるときは迷走神経反射以外に不整脈や心血管系の問題、脳血管障害、てんかん発作が隠れている可能性もあるため、できるだけ早めに医療機関を受診することをおすすめします。何をしているときに意識がなくなったか、どのくらいの時間であったか、顔色は良かったか、けいれんなど他の症状があったかなど、その場に居合わせた方がいれば、一緒にお話を聞かせていただく事も診断の大きな参考となります。