病院レター第111号 2024年7月1日
精神科部長 安野史彦
認知症の介護負担を増大させる要因の多くは、BPSD (behavioral and psychological symptoms of dementia)と呼ばれる幻覚・妄想,睡眠障害,暴言・暴力,不安・焦燥などの周辺症状によるものです。BPSDがコリン分解酵素阻害薬の開始以降に出現/悪化した場合には、コリン分解酵素阻害薬の変更およびメマンチンの併用を考えます。
コリン分解酵素阻害薬同士の切り替え基準は存在しないが、それぞれが異なる薬理活性,薬物動態を示す為、切り替えにより臨床症状が変化する可能性はあります。BPSDが激しい場合は、一旦コリン分解酵素阻害薬を中止し、メマンチンの開始を考えてみましょう。
薬剤 | 作用順序 | 病期 | 1日用量 | 初期投与法 | 用法 (/日) |
半減期 (時間) |
最高濃度到達 (時間) |
代謝 | 副作用 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ドネペジル | AChE阻害 | 全病期 | 5~10mg | 3mgを1~2週投与後 5mgで維持 | 1回 | 70~80 | 3~5 | 肝臓CYP3A4 2D6 | 食欲不振 下痢 心伝導ブロック |
ガランタミン | AChE阻害/ニコチン性ACh受容体刺激作用 | 軽度~中等度 | 8~24mg | 8mgで4週投与後 16mgで維持 | 2回 | 5~7 | 0.5~1 | 肝臓 CYP2D6 3A4 | |
リバスチグミン | AChE阻害/uChE阻害 | 軽度~中等度 | 4.5~18mg貼付剤 | 4週ごとに4.5mgずつ増量し18mgで維持 または1日1回9mgを開始用量とし4週後に18mgに増量 |
1回 | 3 | 8 | 非CYP | 皮膚症状 |
メマンチン | グルタミン酸受容体の阻害薬 | 中等度~高度 | 20mg | 5mgから毎週漸増 | 1回 | 60~80 | 1~7 | 腎排泄 | 傾眠 頭重感 浮遊感 便秘 |
平成27年度厚生労働科学特別研究事業の調査研究成果として,『かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドライン(第2版)』が作成され、向精神薬使用についての原則が記述されています(図1)。
図1 BPSDに対する薬物療法の進め方
薬物療法を開始する目安として、
といったことがあげられます。
薬物療法を開始した場合でも、並行して、非薬物療法的アプローチを継続することは原則です。また、最低でも3カ月ごとに薬物療法の中止を考慮することが望ましいとされます。
高齢者においては腎機能,肝機能,薬物代謝能の低下があることから、薬物療法は少量から開始することが基本です。現時点で、向精神薬は認知症に対する適応承認はなくブレクスピプラゾールが、アルツハイマー型認知症のアジテーション(攻撃的行動及び発言、非攻撃的行動の亢進、焦燥を伴う言動等)について効能追加申請中、用量設定は若年成人を対象としています。開始の薬剤用量は若年成人の1/2〜1/4量程度から開始し、必要に応じて緩やかに増量します。また、高齢者では身体合併症のために多剤併用になりがちであり、薬物相互作用に注意しなければなりません。
認知症患者は認知機能の低下により服薬管理が不確実であり、規則的な服薬や副作用発現の観察のためには、家族,薬剤師,訪問看護師など多職種による支援が必要となります。また、BPSDに対する向精神薬は保険適用外使用であることに留意し、薬剤の使用にあたっては家族や介護者に十分に説明し、理解を得る必要があります。
典型的な症例に関しては診断および薬物療法も含めた対応ができることを前提として、認知症対応が専門でない診療科の医師が、どのような場合に認知症の専門医療機関に紹介すべきかについては次のことが考えられると思います。
レビー小体型認知症や前頭側頭型認知症では疾患の特性上、BPSDが中核症状として現れます。レビー小体型認知症は薬剤に対する副作用の出現頻度が高く、また、前頭側頭型認知症では薬剤によるコントロールが難しく、安定するまでは専門医に任すべきかと考えます。また急にBPSDが目立ってきた場合には、せん妄の疑いもあり、薬剤の影響や身体合併症の検索が必要となり、さらに、脳血管障害に起因する可能性も考慮すれば、診断治療の可能な専門医療機関で対応が望ましいと思われます。
定型的なADと考えて経過をみていたら、幻覚妄想が目立ってきたり、パーキンソニズムが出てきたりした場合であり、この場合も一度診断および治療を見直す必要があり、確信がもてない場合は、専門医に紹介することをお勧めします。
診断力が十分にある医師でも経過中診断に疑問が生じるか、 行動・心理症状が目立ってきた場合には、専門施設を利用することによって継続的な診療が可能となります。認知症は専門医やかかりつけ医といった単一の医療資源だけで支援することは困難であり、介護支援も含めた幅広い連携が治療の最も重要な基盤となることも注意が必要です。
長寿医療研究センター病院レター第111号をお届けいたします。
2012年の段階で日本では約462万人の認知症患者が存在するとされ,2025年には約700万人に達するとされてきましたが、昨年度の調査で下方修正され、現在2050年度でも有病率は586.5万人までしか増えないと推計されています。一方、認知症患者全体の約7割を占めるとされるアルツハイマー病(以下ADは、その中核症状認知障害,意欲・気力の障害など以外に、本稿の精神行動症状以下BPSD)が出現します。ADを含む認知症患者のうち約8080%がBPSDを有しているといわれており、特にADでは早期からBPSDが出現し、患者さんとその介護者のQOLの低下およびストレスの増大など様々な問題を生じさせています。
米国で行われたNun Studyでは、678名の篤志修道尼に協力してもらい、認知機能と健康状態を経時的に評価し、死後の脳の病理解剖で認知症に関わる変化が起こっているかが検討されています。この中で、102歳で死亡したメアリー尼は、病理所見はADであったにも関わらず、死の直前の認知機能のテストの結果はほぼ正常であり、記憶力も良く、社会性にも問題が無かったということが判明しています。このことから、AD特有の病理変化だけが、ADの発症の原因となるわけでは無く、生活習慣や人生に対する姿勢もそれに大きく関係するのではないかという疑問が呈されています。
また日常臨床で認知症患者さんを診察させていただいている中でも、早期診断して、ご家族の理解を含めた患者さんの周辺環境の調整を行った上で、適切なタイミングで抗認知症治療薬を開始するなどしていくと、記憶障害を中心とする中核症状の進行は見られるものの、BPSDは発現せず、おだやかに日常生活を送られる方も数多く存在します。認知症患者さんとそのご家族のQOLを高めるためには、あらゆる手段で早期診断を実施して、進行リスクの削減および進行防止に関わる環境を作って、BPSDの発現を少しでも押しとどめようとする努力が重ねられなければなりません。
当センターでは、昨年度から保険収載されたアミロイドPETおよび、もの忘れ外来における集学的な診断など、患者さんのご負担が少ない早期診断を行っており、加えて新しい認知症治療薬であるレカネマブの投与も開始しています。もの忘れの症状が出現してきた場合は、早めに当センターに受診していただくことを切に願っております。
病院長 近藤和泉