病院レター第94号 2021年9月10日
麻酔科医師 本田直子
日頃より患者様の併存疾患に対して治療して下さっている近隣の開業医の皆様、院内の先生方に感謝申し上げます。
この度は、併存疾患としてよく見られる生活習慣病(高血圧症、脂質異常症、糖尿病、肥満)と麻酔との関わりについて、書かせて頂きます。
高血圧症に関しては、動脈硬化が根底にあるため、動脈硬化の進展が著しいほど虚血性心疾患、不整脈や脳梗塞などのリスクがあります。また高血圧症の方は、極端な血圧の上昇や極端な血圧の低下がみられ、薬物に対する反応も一定でないことが多いです。そして、高血圧症に対する薬物治療を行っていない場合は、周術期の循環器系合併症の発症率が高いと言われています1)。
脂質異常症は、血液に溶けている脂肪分の代謝に異常がある状態で、脂質の異常だと診断されるのは、高LDL-C血症、高TG血症、低HDL-C血症の場合です。これらの脂質代謝異常が起こると、心筋梗塞や脳梗塞、閉塞性動脈硬化症などの動脈硬化性疾患を引き起こします。動脈硬化性疾患は、発症すると日常生活に支障をきたすとともに総死亡率の約24%を占める重篤な病気です。動脈硬化性疾患は、加齢、性別、家族歴以外に、糖尿病、高血圧、喫煙、脂質異常症が危険因子となりますが、脂質異常症はこのような動脈硬化の危険因子の中でも重要な因子であることが、さまざまな実験や疫学研究で示されています2) 。 脂質異常症は動脈硬化を関連があるため、高血圧症と同様の危険性があると思われます。
糖尿病は、冠動脈疾患を含む心血管障害、腎障害、自律神経障害などの合併症があり、これらが問題となります。また、麻酔や手術などの外科的侵襲が加わると、侵襲の程度によりま
すが、交感神経反応としてストレスホルモン分泌が増加し、高血糖状態になり、糖尿病状態を増悪させます。
末梢神経や自律神経の障害がある場合は、消化管の蠕動運動の低下をきたし胃内容物の排出が遅延していることがあるため、嘔吐や誤嚥の危険性があります。
また、慢性的に高血糖にさらされることによって異常タンパクの合成を導く非酵素的グルコシル化反応を促進するため、結合組織の変性が生じ関節可動域制限が発生するとされています。
これはStiff joint syndrome と呼ばれ気管挿管困難の原因となりえます。
手術前の検査ではじめて糖尿病と診断されてその時点から治療を開始された糖尿病未治療の場合は、CABG手術が対象ではありますが、すでに糖尿病と診断されて治療を受けている場合と比較して、術後の合併症発生率が高いと言われています3)4) 。
肥満の定義は、BMI25以上は肥満、BMI35以上は高度肥満とされています。肥満があると、心肺機能が変化することによるだけでなく、気道管理が困難であることによってガス交換が
制限されます。
躯幹や腹部の重さによって横隔膜の動きが困難となり、体位による影響を受けて機能的残気量が減少し、換気血流比分布異常が起こります。これらは全身麻酔中の陽圧換気によってさらに悪化します。また手術中の体位、たとえば、腹腔鏡手術における頭部低位や、側臥位手術によって、さらに悪化します。病的肥満の場合は、機能的残気量がクロージングボリュームより小さくなり、低酸素血症が起こるまでの無呼吸時間が短くなります。そして、術後の低酸素血症の重要なリスクでもあります。
気道管理が困難という点に関しては、上気道周辺の軟部組織による気道閉塞が起こりやすいため、マスク換気が困難であったり、気管挿管の操作も困難となります。過度の皮下脂肪により緊急時の穿刺・切開も困難となります。また、創感染、深部静脈血栓症および肺塞栓症の発症率が増加します。
「手術前の禁煙について」も、少し書かせていただきます。日本麻酔科学会でも「周術期禁煙ガイドライン」として取り上げられています5) 。喫煙は、癌の原因でありますし、周術期の全身麻酔管理に影響を与え、予後に影響いたします。
たばこの煙の中に含まれるニコチンは、急性期の影響として交感神経興奮状態を生じ、血圧の上昇や、心筋の酸素消費量を増加させたりしますし、気道分泌を増加させ気管支を収縮させます。また、ニコチンの血管収縮作用や、煙のなかのCOの組織低酸素は、創傷治癒を阻害します。煙の中のタールや刺激ガスであるアンモニアは、気管を収縮させ気道の易刺激性を高め、その気道過敏性から、喉頭痙攣や気道閉塞の危険性を高めます。喫煙者は、術中に喀痰量が多いことが知られていますが、これらが気道の線毛運動を抑制することで、喀痰排泄の低下も引き起こします。
喫煙者では、術後の肺合併症について有意に多いとされていますし、整形外科手術では喫煙者において偽関節や骨癒合障害が多いことが報告されています。
外科の長期予後についても影響を与えると言われています。また頭頚部癌では、喫煙を続けていると放射線療法の有効性が低下し、生存率が下がると言われております。
そして、受動喫煙によっても冠血管の内皮障害を引き起こす可能性が示唆されています。
術前の禁煙は、SSIの高リスク因子であり、術前4週間の禁煙でSSIの発生を減らす可能性があります6) 。 禁煙期間が4週間未満では、一過性に呼吸器合併症の頻度が増加する禁煙パラドクスという現象が観察されると言われていましたが、術前2〜4週間の短期禁煙でも合併症は増加しないと報告されており、禁煙期間を延長するために手術を遅らす必要はないようです。
禁煙すると、体重が増えるのでは、と心配される声も聞かれます。禁煙後には体重増加することが多く、心血管イベントや2型糖尿病に罹患する可能性があるとも言われていますが、体重
増加のない非喫煙者は禁煙以降、心血管死のリスクが低下しますし、体重増加した禁煙者であっても、喫煙者よりは心血管死のリスクは低いと報告されています7)。体重増加し一時的
な糖尿病の可能性はあったとしても、やはり禁煙した方がよいと考えられます。
手術は、禁煙をお勧めする絶好の機会でありますし、周術期の合併症から見ても有益であると思われます。もし、喫煙されている方は、この病院レターを読まれた機会に、ぜひ禁煙して頂ければと思います。
- 麻酔科プラクティス
- 日本動脈硬化学会 脂質異常症診療のQ&A
- 門井雄司 糖尿病患者の術前評価 日臨麻Vol.41 p261-267, 2021
- Lauruschkat AH, Arinrich B, Albert AA, et al.: Prevalence and risks of undiagnosed diabetes mellitus in patients undergoing coronary artery bypass grafting. Circulation 112:2397-2402, 2005
- 日本麻酔科学会「周術期禁煙ガイドライン」
- 消化器外科SSI 予防のための周術期管理ガイドライン2018
- Hu Y, Zong G, Liu G, et al.:Smoking cessation, weight change, type 2 diabetes, and mortality. N Engl J Med. 379:623-632, 2018
長寿医療研究センター病院レター第94号をお届けいたします。
今回は麻酔科医の立場から生活習慣病(高血圧症、脂質異常症、糖尿病、肥満)、喫煙と麻酔、手術リスクについて執筆していただきました。外科系の先生方にはよく知られている事実なのかもしれませんが、十分な管理下で行われる麻酔の領域でも生活習慣病がさまざまなリスクになっていることが紹介されています。
内科医にとっても生活習慣病、喫煙は、あらゆる疾患のリスクになっており、安全に手術を行う上でもこれらの管理が重要であることをあらためて認識させていただきました。
当センターの麻酔科は2名体制でけっして大所帯ではありませんが、年間500 件以上の手術に対応しています。高齢者にとって安全で確実な麻酔を心がけ、術前術後の管理にもチームとして協力しています。今後ともよろしくお願いいたします。
病院長 鷲見幸彦