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すこやかな高齢期をめざして ~ワンポイントアドバイス~

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人生の予定表の最後のページ

老化疫学研究部 Department of Epidemiology of Aging

「人間の死亡率は100%」…これは誰が最初に言い出したことなのかわからないのですが、「死」を扱う学問領域の研究者がしばしば引き合いに出す「統計」です(筆者はアルフォンス・デーケン先生の講演会で、20年程前に初めて耳にしました)。これは、例えば「初詣に行ったことがある人は91.6%」注1)といった数値と比べても、明らかに高率です。…とはいえ、この数値と「人間の死亡率」では、大きく異なる点があります。それは、現在生きている人に限定すると「死亡したことがある人は0%」、つまり自分自身の死は必ず「未知なる領域」であるということです。それでは未知なる「死」に関して、人間はどのように考え、感じているのでしょうか。

 

図1、死に対する恐怖の加齢変化を示した図。27点が怖いと怖くないの境目を示す。40歳から70歳あたりの方は、12年間の追跡調査中、次第に得点が低下しますが、75歳以降の方ではほぼ得点が変化しないようです。

「死=縁起の悪いもの、恐ろしいもの」という「一般的」なイメージを思い浮かべられる方々もいらっしゃるかもしれませんが、NILS-LSA(ニルス・エルエス・エー)の調査で「自分自身の死」に関しては、40歳代でも「どちらかといえば恐ろしいとは感じていない」ことが明らかになりました(図1)。そしてその「恐ろしいと思わない」傾向は70歳あたりまで次第に進んでいき、70歳代半ば以降でようやく下げ止まりとなるようです。つまり、一般的に死が近くなると思われる高齢の人の方々がむしろ、死を恐れる気持ちは弱いのです。

 

図2は、生を全うさせる意思の加齢変化の図。12点が最後まで生きる意思が強いと弱いの境目を示す。全体としては高齢の方が高得点ですが、12年間の追跡期間中、どの年代でも得点の変化は示されないようでした。

それでは、死を恐れる気持ちの弱まりとともに、中高年の方々は静かに死を待つだけの日々を送っているのか…というと、決してそうではありません。図2は「状況の困難さにかかわらず、最期まで精一杯生きよう」という気持ちの強さを表したものです。平均的には40歳代でもかなりこの気持ちが強いのですが、年齢が高い人ほど、より強く「精一杯生きよう」という気持ちを持ち続けているのです。

 

 おそらくこういった「死」に対する考え方・感じ方は、単に歳を重ねることにより自然に変化するというわけではなく、例えば祖父母や親との死別を体験した際、自分や身近な家族・友人が大病を患った際、あるいは国内外で大きな事故や災害があった際などに、「おじいちゃんみたいに、子どもや孫に囲まれて大往生するのは幸せだな」とか「お兄ちゃんの遣り残した分まで、自分ががんばって生きよう」など、「生きること」や「死ぬこと」について少しずつ思いをめぐらせ、徐々に変化していくものであると推測されます。誰しも人生の中では、運動会、受験、就職、結婚式、旅行、お正月、忘年会…など、様々なイベントを予定し、そのための準備・手配・心構えを繰り返し行なっているものです。近年では「終活(しゅうかつ)」という言葉を見かけるようになりましたが、人間に「必ず」予定されているイベントとしての「死」にも、時折目を向け、準備をしていくことが必要といえるかもしれません。その準備と並行して、人生を謳歌することや、目標達成に向けて日々の努力を積み重ねていくことも、十分可能なのです。

 

「死」も人生の一つのイベントとして予定しておきましょう

 

<コラム担当:丹下 智香子>

数珠の画像。筆者の祖母は亡くなる20年前から戒名を準備していました。しかし、その紙の保管場所を誰にも伝えていなかったため、葬儀前に大捜索をする羽目になりました。終末期のケアや葬儀に関する希望、準備、手配済みの内容などは、いざというときに確実に周囲の人が把握できる様にしておかなければなりませんね。

注1)西 久美子 “宗教的なもの”にひかれる日本人~ISSP国際比較調査(宗教)から~ 放送研究と調査 2009年5月号.

 

*このコラムの一部は、以下の研究成果として発表しています*

丹下智香子,西田裕紀子,富田真紀子,大塚礼,下方浩史:
成人中・後期における「死に対する態度」の縦断的検討.
発達心理学研究,27,232-242,2016.

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