病院レター第96号 2022年1月4日
整形外科医長 若尾典充
日ごろから病診連携を通じ、近隣の先生方にはたいへんお世話になっております。整形外科の若尾典充と申します。脊椎疾患の治療を専門にしております。
私が所属している日本整形外科学会、日本脊椎脊髄病学会の使命のひとつに治療の標準化があります。今回はこの治療標準化に非常に有用な診療ガイドライン策定プロセスと読み解き方のコツのお話です。
病状説明の場で先生にお任せしますと言われることは珍しくありません。医者冥利に尽きるとも言えるでしょうが、実はこの言葉、時に困ります。医療は年々進化し情報も深化しています。この状況下で、ある方向性へ治療を進めることには必ずよい側面とよくない側面を伴うからです。このメリットとデメリットをどう理解し選択するか、の基準は人それぞれで、その決断の背景には個人の経験・死生観・宗教観を含む人生そのものが存在しています。人は千差万別ですから、だからこそすべての人に納得のいく医療を享受していただきたいと医療者ならば皆思います。
一方医者も万能ではなく、それぞれ育ってきた施設・背景により知識と技量には必ずバラつきがあります。このようなバラツキ(偏り)をうまく是正する取り組みのひとつとして日本整形外科学会ではエビデンス(科学的根拠)に基づく診療ガイドライン策定を推進しています。これまで17疾患の診療ガイドラインが発刊され、それぞれ5〜10年ごとに改訂されており、これは書籍として購入可能です。この診療ガイドラインは医療者と患者の意思決定を支援する非常に有用なツールです。
医療者と患者の意思決定に有用なガイドラインですが、医療は日々進歩しているためひとたび出版・公開された瞬間からその内容は徐々に古くなっていきます。ある研究によると6年で約半数のガイドラインが時代遅れになるとされ、このような背景から現在日本整形外科学会では5年ごとの改訂作業を行うようにしています。私は2010年から日本整形外科学会の腰痛診療ガイドライン、後縦靭帯骨化症ガイドラインの査読委員、2019年から頚椎症性脊髄症診療ガイドラインの改訂に策定委員として参加しておりますが、本稿ではガイドラインがどのようにして作られるかその裏側を簡単に説明したいと思います。
ガイドラインには、
に分類されます。 (1) は系統的に知見をまとめる、という形式をとり、 (2) は現場においてよく遭遇する、治療介入を前提とした疑問や課題まず設定し、その疑問に答えるために文献検索と協議を行い、その回答をもって推奨度を設定するものです。 どちらにもSystematic Review(以下SR)とよばれる膨大な査読作業が必要です。
最初にガイドラインを作成する組織(学会など)で、当該ガイドラインが取り扱う疾患の疫学情報や診療の全体像を整理し、ガイドラインで取り上げるべき重要な臨床課題を検討し決定します。この臨床上の課題に対して、検査や治療方法などガイドラインで答えるべきクリニカルクエスチョン(CQ)を設定します。それぞれのCQに対して、
という流れになります。
今回の頚椎症性脊髄症診療ガイドライン改訂3版では、2009〜2019の期間における英文(pubmed), 和文(医中誌)をkeyword を設定してふるいにかけ、最終的に4万弱の論文を吟味しました。この中にはSRに含めるべき少数の論文とSRには含められない大多数の論文があり、そのソートがもっとも時間を要する作業です。
論文を吟味するにあたって、研究方法をわかりやすいように類型化して信頼度の目安を作ったのが、エビデンスレベルと呼ばれるものです(表1)。一般に二重盲検化ランダム化比較試験といって、患者割り付けにbiasを生じさせず、かつ治療介入法が医療者にもわからない試験がもっともエビデンスレベルが高い臨床研究とされ、そのランダム化比較試験を複数集めて検討した系統的レビューはもっともエビデンスレベルが高い論文と言えます。しかし、これも、さまざまな団体が多様な基準を作っているため、エビデンスレベルの記述のある文献を読む場合にはどのような基準が作成されているのかを確認する必要があります。
利益相反(Conflict of interest:以下COI)をみる視点も非常に重要です。エビデンスレベルの高い論文であればあるほどどのような原資が入っているかチェックする必要があります。この利益相反の問題について、国内では降圧剤ディオバンにかかわる不正臨床試験が記憶に新しいと思います。営利企業である製薬会社は、新規商品の臨床試験、市販後調査など、製品の効能と副作用の市場調査を絶えず行いますがその先にガイドライン収載が目標のひとつになります。このコマーシャリズムは時に歪み、営利につながる方向にしむけられることが往々にして起こります。米国での痛み治療のオピオイド訴訟も同じ構造と言えます。
Ⅰ |
システマティック・レビュー/RCTのメタアナリシス |
---|---|
Ⅱ |
1つ以上のランダム化比較試験による |
Ⅲ |
非ランダム化比較試験による |
Ⅳa |
分析疫学的研究(コホート研究) |
Ⅳb |
分析疫学的研究(症例対照研究、横断研究) |
Ⅴ |
記述研究(症例報告やケース・シリーズ) |
Ⅵ |
患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見 |
CQごとにまとめたエビデンスの総体や益と害のバランスなどに基づいて、その推奨の確信度合いについてわかりやすく分類したものが、「推奨グレード」と呼ばれるものです(表2)。実際この推奨グレード決定では、個人個人で意見が割れる中で落としどころを見出すプロセスになりますので、とても昭和な決め方と言えます。
またガイドラインは様々な団体が作っているため、その発刊母体によって結論が微妙に異なることも起こりえます。たとえば前立腺がんのPSAスクリーニングの意義について、医療費を少しでも抑制することを是とする厚生労働省と治療アウトカムが少しでも改善することを目的とするがんセンターでは結語がやや異なっています。このような裏側を見ながらガイドラインを読めるようになると医療全体を俯瞰できるようになるのではないでしょうか。
A |
行うよう強く勧められる |
---|---|
B |
行うよう勧められる |
C |
行うことを考慮してもよいが,十分な科学的根拠がない |
D |
行わないよう勧められる |
以上、ふだんは何気なくガイドラインに目を通しておられると思いますが、その裏にはこのようなプロセスがあることを書いてみました。
一般書籍として医学書などと比較すると非常に安価に購入可能ですので、ぜひ手にとって読んでください。日常診療にもきっとプラスになるとおもいます。
長寿医療研究センター病院レター第96号をお届けいたします。
今回は診療ガイドラインに関する解説です。整形外科領域を中心に多数のガイドラインに係わってこられた若尾先生ならではの示唆に富んだ内容になっています。今や医療のあらゆる分野でガイドラインの作成が行われており、皆様の参考になるのではと思います。また行政が出しているいわゆる「ガイドライン」の中には、今回のガイドライン基準にはあてはまらない、「手引き」に相当するものもあるので注意が必要です。もちろん極めて有用な「手引き」もあるのでこれがいけないということではありません。用語として紛らわしいということです。
ガイドラインをまったく読まず勉強もしない、ガイドラインを金科玉条とし、ガイドラインにない医療は拒否する。これらは、どちらも望ましくない姿勢であり、自らも戒めたいと思いますし、文中にあるようにガイドラインの裏まで読み込み、駆使できる医師でありたいと思います。
当センターでは高齢者医療のための様々なガイドラインを作成しています。また高齢者医療ではガイドラインに必要なエビデンスの高い論文がまだまだ不足しており、ガイドラインに貢献できるような、レベルの高い研究を続けていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
病院長 鷲見幸彦