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認知症大綱

病院レター第85号 2020年3月23日

もの忘れセンター 連携システム室長
神経内科 神経機能診療科 医長
堀部賢太郎


 令和元年6月、「認知症施策推進大綱」が認知症施策推進閣僚会議において取りまとめられました。
 かつて、この数年でも、認知症に関しては平成24年9月の「オレンジプラン(認知症施策推進5か年計画)、平成27年1月の「新オレンジプラン(認知症施策推進総合戦略)がありました。
 そして今回の大綱に続いて「認知症基本法」案が議員立法として提出・審議されています。
 とはいえ、ここまで似たような話が続くと、医療介護の現場の方々にとっては、少々分かりづらいですね。

 国立長寿医療研究センターは、国の認知症施策の推進に深く関わってきました。現在でも「認知症サポート医」や「認知症初期集中支援チーム員」は当センターが中心となって全国で養成研修を開催していますし、厚生労働省(以下「厚労省」)やAMED(日本医療研究開発機構)に医師や薬剤師を送り出しています。今回の大綱の取りまとめにも、当センターの鳥羽理事長(当時)が有識者会議の座長を務めました。

 大綱自体の内容や評価は別の機会に譲るとして、本稿では認知症施策の中における大綱の位置づけやその経緯について振り返ってみましょう。

0. そのむかし

 昭和57年の公衆衛生審議会答申「老人性精神保健対策に関する意見」をはじめとして、同62年「厚生省痴呆性老人対策推進本部報告」、同63年「痴呆性老人対策専門家会議提言」、平成6年「痴呆性老人対策に関する検討会報告」、同15年の高齢者介護研究会「2015年の高齢者介護~高齢者の尊厳を支えるケアの確立に向けて~」、同16年の「痴呆症」から「認知症」への用語変更をうけた同17年「認知症を知り地域をつくる10ヵ年」構想、そして同20年「認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクト」と、認知症に関わる報告書やプランは数多く発表・立案されてきました。ただ、これらはあくまで現在の厚労省、それも主に現在の老健局としてのものでした。 

1. 初代オレンジプラン(認知症施策推進5か年計画)

 世間でわが国の認知症戦略として認知されたものとしてのはしりは、平成24年9月に公表された「認知症施策推進5か年計画」(通称︓オレンジプラン 以下「初代プラン」)1)であったかと思われます。

 これは、精神科病院に入院していて退院先がみつからない認知症の人が多いことが問題となり、同年6月に発表された報告書「今後の認知症施策の方向性について」を受ける形で立案されることになったものですが、これらは、はじめて厚労省横断的な「認知症施策検討プロジェクトチーム」なるものを結成し、オール厚労省として立案・発表されたものでした。
 初代プランは広く注目を集め、当時本省で関わっていた私も海外まで呼ばれるほどでした。上記報告書における、自省的な姿勢は、その認知症の「疾患」としての側面よりも「生活」「ひと」に目を配ったトーンに対し、日頃役所に批判的なメディアも含め、多くの共感を集めました。
 ただ、医療や研究に対する言及に乏しいことは批判の対象にもなりました。でも過剰な医療依存に対する反省をもとに退院後の担い手に焦点を当てた経緯を鑑みれば、これは仕方ない面もあったのです。
 いずれにせよ「5か年計画」です。次の改訂までには5年待つ必要があるはずでした。

2. 新オレンジプラン(認知症施策推進総合戦略)

 しかしここで認知症施策に追い風が吹きます。
 平成26年11月に開かれた「認知症サミット日本後継イベント」です。
 これは前年12月にロンドンで開かれた「G8認知症サミット」において開催が決まったもので、当センターは、厚労省および認知症介護研究・研修東京センターとともに六本木アカデミーヒルズにおいてこれを共催しました。
 お題は決められていて「新しいケアと予防のモデル」。診断や治療に視点が偏りがちな世界的風潮へのアンチテーゼとして選りすぐった講演者の方々のプレゼンは今見ても素晴らしいもので、現在もWeb上で当時の動画2)を観ることができます。ぜひご覧ください。
そしてこの最後に、安倍内閣総理大臣がサプライズ登壇し、「認知症施策を加速するための新たな戦略を策定」「政府一丸となって生活全体を支える」と新国家戦略の立案を宣言しました。
 これを受ける形で、本来の計画満了期を大幅に残した状況で新しい計画が立案されることになりました。
 平成27年1月に発表された「認知症施策推進総合戦略」(通称︓新オレンジプラン 以下「新プラン」)3)です。
 とはいえ実は中身的にはそれほど巨大な違いはありません。
 何が違うのか︖
 「国」の立ち位置です。初代プランが厚労省の計画であったのに対し、関係省庁も一緒に関わった戦略として、つまりわが国初の認知症国家戦略として打ち出された点が大きく異なりました。
 この立案に際しては当センターも「今後の認知症施策に関する提言」4)を行いました。
 結果として発表されたものはその理念と施策要素の点で重なる部分の多いものでした。
 しかし、新戦略の柱として位置づけるべきと提言した「『当事者の参加』及び『地域で暮らすためのまちづくり』」については、それぞれ第7(!)の柱「認知症の人やその家族の視点の重視」と第5の柱「認知症の人を含む高齢者にやさしい地域づくりの推進」として多くの項目に埋もれることとなりました。
 しかしその後、今や世界中において、この二つの理念が認知症施策の柱となってきています。

3. 認知症施策推進大綱

 さて、令和元年6月18日、「認知症施策推進大綱」(以下「大綱」)5)が発表されました。
 名前は「大綱」ですが、これは「オレンジプラン」「新オレンジプラン」に続く戦略第3ステージで、 「認知症になっても住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けられる『共生』を目指し、『認知症バリアフリー』の取組を進めていくとともに、「共生」の基盤の下、通いの場の拡大など「予防」の取組を政府一丸となって進めて」いくぞと謳っています。

 はて、新プランも政府としての戦略ではありませんでしたか︖どう違うのでしょう︖
 ここは若干微妙ですが、新プランはあくまで「厚労省」が関連する府省庁と共同してとりまとめたものでした。チームリーダーは厚労省という一省庁だったのです。
 それに対して、大綱は首相直下の「認知症施策推進関係閣僚会議」がとりまとめたものです。
 そしてなぜ今この時期に首相マターとしての大綱が必要になったのか、については様々な政治的要因や認知症の人の数の増加に伴う社会的要請の増大等々、幾つも挙げられるでしょうが、元々令和元年中に認知症基本法案の国会提出及び審議が予定されていたという社会的要請もあったでしょう。
 と、いうあたりは基本法案の方がそもそも議員立法で、国会提出も当初の展望より遅れ気味となったこともあって、前後関係としてややドタバタしたきらいはあります。なんといっても、審議入りした法案の中には「大綱」という単語が出てこないのです。
 その代わりに、「政府は(中略)認知症施策推進基本計画を 策定しなければならない」という表現があり、この「計画」に読みかえることになりそうです。
 なんか、計画(初代プラン)→戦略(新プラン)→大綱→計画︖と、表現的には格上げ感には乏しいですが、この文章執筆時点では法案はまだ修正の可能性もありますし、なによりも結果が大切です。
 大綱と基本法が、どれだけ実効性のあるものになるか、認知症の人とその家族等支援者のために貢献するか、これは国や地方自治体だけでなく、私たち医療現場・介護現場の一人一人の理解と努力にもかかっています。

4. 補記︓「予防」とこれから

 当初ご存じのように、大綱立案の過程で「予防」という表現が議論を呼び、書きぶりに修正がなされたりしました。
 何が問題だったのでしょう︖まずは予防、予防しきれなければその対策。医療や公衆衛生施策の世界ではよく使われる表現、論理ですよね。
 私たち医療者からすると「予防には二次予防と三次予防もあって…」といいたくなるところですが、「予防」は「予め防ぐ」と水際防衛作戦的な響きをもつ普通名詞としても一般的に使われるところが問題でした。
 大綱は専門家相手の文書ではなく、一般市民も読者として想定した文章なのです。

 人生90年時代、認知症は「なるかならないか」というより「いつなるか」という身近な課題です。進行もgradualで、認知症に先になった人とまだなってない人の間に「あちらとこちら」はありません。そう、「水際」はないのです。
 と、いう正しい認識がやっと国民の間に醸成されてきたところに、普通名詞としての「予防」が登場したため、「認知症の人がまるで予防の失敗者みたいじゃないか」という悲鳴を呼んでしまった面もあったように感じます。
 実は、WHOなどでは、認知症に関してはRisk reductionとPreventionを明確に区別しています。個人レベルで頑張って可能なのは前者だけで、結果としてうまくいくかどうかはわかりません。というか、個人にとっては「なる」「ならない」、正しくは「もう」なったか「まだ」なってないかしかありません。でも、社会全体でみたときに「全体としての認知症の増加は少しPreventできた」という見方ならありえるね、という主旨なのです。

 基本法案は令和2年中に成立するでしょうが少し遅れるかもしれません。新型コロナウィルス関連の審議に時間がとられるほか、総論的に反対する向きはないとはいえ、議員立法は全会一致が期待されることからその調整にも時間がかかるためです。この法案の内容自体についても幾つかの論点がありますが、またの機会に。
 認知症の人への直接的間接的支援者として、認知症医療の柱石として、認知症医療連携の架け橋として、認知症施策の伴走者として、当センターに求められる期待と水準も益々高まってきています。
 これからも皆さんとお力を合わせて、「認知症になっても住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けられる」世界の構築に向かっていけることを心から願っています。

参考資料


長寿医療研究センター病院レター第85号をお届けいたします。

 今回は医療政策に関する内容で、これまでなかった角度からのレターとなりました。筆者は厚生労働省や日本医療研究開発機構(AMED)で仕事をした経歴があり、これらの施策にかかわった経験から他ではなかなか読めない内容になっていると思います。この20年間、国が認知症を大きな課題として考えるようになってきたかがお分かりいただけるかと思います。基本的な施策を基に、単に国の政策のおしつけでなく、現場のわれわれが地域に合った形で、患者さん、ご家族を支えていく仕組みを形成していくことが重要ではないでしょうか。

病院長 鷲見幸彦