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もの忘れセンター

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受賞作品1:小林勝征様

作品コメント

ご家族(妻)は、ADと診断された夫を介護し約5年。絵手紙の趣味を控え、「夫のために自分の好きなことはしてはいけない」 と夫の介護を中心とした日々を送られていました。
家族教室での「傾聴」講義の中で、今まで心の内にため込んでいた悩みを吐き出すことができました。
この時、「介護してても自分の時間があってもいいんだ」と再認識され、心がすっと軽くなったそうです。
この経験の翌日には、無性に絵手紙をしたくなり、早朝に近くの公園に出向き牡丹の絵を描かれたそうです。
そのような妻の姿を男て、患者である夫も一緒に絵を描きに出向かれるようになりました。
共通の趣味ができることに喜びを感じて日々を過ごされています。

 

審査員講評

この作品は、妻と夫の単なる寄せ書き的なものでなく、夫婦が見事に一体となった運命共同体としての奇跡的な作品だと感じました。
夫を介護して5年、「夫のために自分の好きなことをしてはいけない」と好きな絵手紙を控えておられた妻。医療センター主催の「傾聴」講演をきっかけに「介護していても自分の時聞が あっても良いと妻は再認識され「 ボタンと私」を描かれた . . . 。次にこのような妻の絵を見て刺激され描かれた「岡崎城」 。妻と夫の 「美術取り持つ」「ふれあいつながる」に相応しい心暖まる作品です。

 

京都精華大学名誉教授 (前デザイン学部長)
NP0法人・障碍(しょうがい)者芸術推進研究機構理事長
松谷 昌順

 

 

授賞式の様子

お二人は最高の日だったと後日、外来受付へ伝えに来て下さいました。


鳥羽センター長、 看護部長と一緒に

ちょっぴり緊張気味の小林ご夫妻

鳥羽センター長より
賞状と記念品をいただきました。

 

多くの方が見守る中で行われました

 

 

受賞コメント

「絵手紙の受賞の知らせを聞いて」

青天の霹靂とはまさにこういう事を言うのでしょう。私がアルツハイマーだと診断されてから五年が過ぎようとしています。
そんな私が国立長寿医療研究センターの先生に呼ばれて今回の受賞のことを告げられ、初めは何のことか分からずキョトンとしていたら、 「君の画いた絵手紙が入賞したのだ」と云われ驚き、また嬉しく思いました。
五年前(一九九八年)、私は自分の頭の異常に気づいて、近くの病院へ行きました。その時、その病院の先生は、「私は何もしてあげることは出来ません」「病気に効く薬もあ りません」「暴力を振るうようになったら来院して下さい」と云われ、これが医師の云う事かと呆れてしまい怒って帰りました。
このことを義兄夫婦に相談したら、 「大府の国立長寿医療研究センタ一に行ったら」と勧めてくれました。早速、大府の国立長寿医療研究センターに行きました。そしたら、「通常三か月待ちの診察が、たまたまキャンセルした人がいるから、十五日後に来なさい」と云われ、全く幸運にもその時から、国立長寿医療研究センターのもの忘れ外来でお世話になっております。そして、適切な診断と役薬により、私のアルツハイマーは五年を過ぎても殆ど悪化しないで普通の生活が出来ております。
私は、幼少の頃ゴルフ場(和合)名古屋ゴルフ倶楽部の近くに住んでいたため、ゴルフが大好きで、友達とは近くの原っぱでゴルフボールを打って遊んでおりました。今でも月に二~三回、コースに出て楽しんでおります。
絵手紙を画くようになったのは、女房がやっているのを見て自分もやりたくなり、友人に近況を知らせるときに絵手紙を画いております。
今回も国立長寿医療研究センターの先生方にお世話になっているお礼状として画いた一枚が、たまたま入賞という結果になり、大変喜んでおります。
これからも体を動かすゴルフと頭を少々使う絵手紙を続けて、アルツハイマーが悪化しないように努力したいと思っております。お世話になっている方々、本当にありがとうございました。

平成二十五年八月吉日 小林勝征

何日もかけてコメントを書いてくださいました。